kluftroseは快復しないのか日記 7
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過去ログ
目次
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https://gyazo.com/a02e985af5fd4d9a0b9f1782c502d0be
4月17日の白いツツジ
https://gyazo.com/f18ac594dfd98e5969a181942c4c2ce2
3月14日頃の開花したジンチョウゲ
https://gyazo.com/c54212161e6ca48c801c80c48046208c
2024/02/27のジンチョウゲ
https://gyazo.com/879c5ff8471e4862328b33b124527df0
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2024年5月26日(日)28:10
フィクションが必要だ。
でも「演じる」のはとても危険だ。
『動物のお医者さん』のトスカみたいに飛び降りてしまうから。
自分を直接材料にしてはいけない。
二千二年 七月八日
生と死は同居する。
積み重ねて行こうなんて思うなよ。
一直線に重ねていかなくたっていい。
すべてを生かそう、明日につなげようなんてもう思わなくてもいい。
今日経験したことと、明日経験することがまったく関係なくても、それはおまえの中にずっと静かに積もっていくものなんだよ。それは無駄なことのように思えても、確かにおまえの肉を作っているひとつの出来事だ。くだらないひとつの出来事だ。そして大事なひとつの出来事だ。
今日と明日がかけ離れていても、細切れのフィルムの、でたらめにあわせたワンシーンのようにあやしく思えても、それはみなおまえというものを作っていく毎日だ。今日笑ったことをおまえが忘れてもさ、それはずっとおまえの中に積もっているんだ。見えない力になって、腹の底に隠れてるのさ、普段はね。おまえは今その底力を、鍛えているんだからよ。
目に見えるもののために、すべてをつなげようとしなくていいんだ。
結果のために生きてるわけじゃないだろう?
先回りして向こうから糸を引くようなことはもうお止め。
こっち側だよ。
人間は本当はここ。こっち側からしか、物語を語っちゃいけないのさ。
まだ生きてるんだからよ。
二千四年 七月三日
怪物と戦う者は自らも怪物とならぬように心せよ。
汝が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである。
ニーチェ
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ホアホアさん。私は鬼になったでしょうか。(2024/05/27より。過去への通信)
2024/05/17(金)0:39
今日の気付き
不安の先取りをしているため、何かし続けようとしており、その目標が安定しない状況にある。
昨日の気付き
私は過去何回も、復讐の手段を目の前にぶら下げられており、しかしそれを選ばなかったのだから、今後もその時の私の決断を無駄にしてはいけない。
平和ボケな私の心の底に「復讐」という不穏な感情がまだ眠っていたことに驚く。
やり返そうとしてやり返された人が死んだ時はとても痛かったかもしれないと夜中に考えていた。
法律に裁けないものを、いなす方法が殺人だけであると思うのは、あまりにお話として単純すぎやしないか、と、二項対立の世界を生きているポジショントークを読んでいて、一昨日は自分自身の感情が乱れる日だった。
方法を調べるから成功するのだから私は調べることをしていない。自分の先回りをしておくこと。
そして、殺された人も、自殺した人も、殺した人も、決して「成功」なんかしてないことを、私たちは知るべきである。
2024年5月4日(土)3:20
眠れなくなって過活動的になってからどれくらい経つのかよくわからない。
要素は色々あって、その細かなことは一度SNSで書いたのでここでは繰り返さないことにする。
3:32
ここに日記を書きかけていたこと自体を忘れて別のことしてました。何か思いついたのかな。
逃避的行動として、SNSをまた読み始めているように思う。
それで逃げたいことってなんだ?
たぶんそれは私自身の感情だ。
すべての感情を感じることから離れたい。
別の刺激を与えることで、感情を感じる隙間を自分に与えないようにしている。
(証左として私は予約制のカウンセリングを休んだままだ)
身体をいつもより冷やしても平気でいるし、さらに冷やそうとまでしているのでさっきパーカーを着たけれど、冷え切ってしまった。
何かをここに書きつけようとしている。
でもそれがどうもうまくできない。
何かをできないということしか書けないのは、わりと情けない。
2024年4月26日(金)11:55
まとめた。早く寝ようぜ私。
くれくれちゃんページ↓
一応タイトルに主体性を取り戻した。
2024/04/27 タイトルから邪魔な名前を消した。これはなんだか変な遠慮な気もする。世の中の人の言うところのマウントが良くわからない世代なので(かつアスペ当事者ゆえ)、よく名前を主語にするのだけど自分キモいな、とか、マウントみたい、と思うことがたまにある加害妄想。リンク貼ろうとしてタイトルを忘れ、そらそろ私の電池が切れる。早く寝ようぜ私。
恥も外聞もかなぐり捨てる。
かなぐりすめると誤打してどんなスメルだ、と思った。
色々書こうと思ったんですが、残弾打ち尽くしたので寝ます。大広間でshuwashuwaさんとソーハムさんと恐竜談義で盛り上がってしまった。しまったではなく楽しかった(笑)🦕🦖
色々自習していく速度を上げようと算段中。
目標がいくつかあるうちの2つははっきりしているし、今日明確になった部分もあって、ありがたい。
とりあえずやはり23時就寝は推奨。
運動とごはんは頑張り始めました。
おやすみなさい。
2024年4月21日(日)5:34
昨夜は胡散さんお勧めの「ゆる言語学ラジオ」の、「ビジュアルシンカー」の回の2回目に突入して少ししたところで吸い込まれるように眠ってしまった。 (胡散さん王位継承おめでとうございます👑✨)
私は、この回で取り上げられている『ビジュアルシンカーの脳 「絵」で考える人々の世界』テンプル・グランディン(NHK出版)を23年の10月に当時行きつけだった書店の面陳から購入した。ちなみにそれより前だったか多分近くの面陳棚に「ゆる言語学ラジオ」の本があったように思う(ちなみにパーソナリティのお一人の水野さんは、発売後すぐ(というと7月ごろ?)に『ビジュアルシンカー〜』を入手されたそう!)。 読書難で P.133までで止まっているので、あらためて2回目から聴きつつ、読み進めていこうと思う。
私の本書内の「視覚空間型思考テスト」は「15点」だった。1問どっちかわからないのがあった。私はイメージによる思考能力が20代の初めにぶっ壊れているので、なにで考えているのかいまいちわからない。ただ普段の思考ではなく読書をしている時はイメージしながら読んでいるのでわりと遅読である。
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ここで別の本の話に変わってます!!
ボケが服を着て歩いているkluftroseでした。
『医師のつくった「頭のよさ」テスト~認知特性から見た6つのパターン~』本田真美(光文社新書)
上の本の中のテストが昔ネット上で無償でできて、4号室で流行ったことがありました。
これ私のだったと思うのだけど(端末に保存していた)、視覚優位聴覚優位のテスト結果。
https://gyazo.com/b0c503a0001cb9295de09e6d255f8ce9
当時本格的に絵を描くメンバーさんがいたのですが3次元映像とカメラアイが私に比べてかなり突出していて凄かった記憶。
(それにしても言語抽象の低さよ😢)
※4号室の私の結果はまた違うので、迷う質問があるのだと思う。色々知覚の受容面で障害があるので、それに阻害される場面があって、一概に答えられないのが難しいところ。
(このごろ4:30くらいにはだいたい1度目が覚めてしまうので日記を書きにきました)
ここ数年で考える方法が変わってきたのと、自己理解も変わってきたので再度internet archiveで診断してみたら下記のようでした。
https://gyazo.com/bc06cfbec83c167071b42a6d06e74ace
左耳の聴こえが落ちているのと(一応25dbのラインより上)、ASDの聴覚の過敏や情報入力刺激への混乱があるため、聴覚&音の苦手だけは変わらない。
このテストはエビデンスがないという意見も見受けられたので、あくまでも「テスト」として考えると良いと思います。
(internet archive のURLは、現行のものが有料LINEテストに移行しているようなので消しておきます。気になる人は4号室掘ってみてください)
いったんおしまい〜
(4/23 3:04)
internet archiveで探したURLは著者のサイトでした。
以下のレビューを参考にしてみて下さい。
上のレビューにある「言語」は、実際のところ、聴覚に分類されると昔『天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』岡南(講談社)を書原RC店で買って読んだ時に知ったのですが、それがどの程度研究分野で共有されている概念なのかを私は知りません。
(うおー出版2010年のことか。私はこの頃、両方(聴覚の優位、視覚の優位さ)ある人いるよね? と一人で騒いでおりました)
で、なんか結局ここに辿り着いた↓
ガードナー「多重知能理論」
薬を飲んで横になっても頭が冴えて眠れないので、ちまちま追記しにきました。
2024年4月18日(木)21:59
何か書こうとしていたらしい痕跡……。多分寝た。
2024年4月5日(金)16:17
📝ワッフル食べた。おいしい。
2013年の11月にたぶん当時のiPhoneで録音した東京国際フォーラムガラスホールの最上階の環境音を聴いている。紙の日記を書いていたので歌詞付き音楽だと気が散るため。時々ガラスホールの鉄骨が負荷を戻すために鳴る音が入っている。
あの場所は私にとって専門学校をサボる時に行く場所で、ホールの造りによって不思議な音の反響の仕方をするため非常に耳に良く(私の場合)、落ち着く場所だった。1998年当時はカラフルな机と椅子が何脚も置いてあったのだけど、制服姿の学生が居座る(私も学生なのでなんら悪いことではないのだが)などがあったためか、数年で撤去されてしまった。窓際の換気口の上などに座っていると警備員さんが回ってきて注意されるという不粋な場所になった。それでも懲りずにこっそり友達と座ったりしていた。自販機で飲み物が買えるし、綺麗なトイレもそばにあるのだ。回廊をぐるりと登って上まで行くのが私は好きで、音の環境がとても良いので、ぜひ生きているうちにまた行きたい。上階からホールを覗き込むのが、また楽しい。ベンチもたくさんあります。
Hanakoの特集が『銀座・下町』だったので手が伸びかけたけれど、帰れない場所のことを知っても今は胸が痛いだけだからやめておこう、と節約した。基本的に雑誌を買っても眺めるということができず、読まずに死蔵してしまうようになった。若い頃はkunelや天然生活などを買って隅から隅まで読んでいたものだった。どこか抜けている癖に完璧主義である。
ちょっとワッフルのことをメモしに来ただけなのでまた後で書きに来ます。✋
2024年3月23日(土)22:10
25:30
(こときれてました)
「離人症です。~離人症・現実感消失症患者のエッセイ~」すしの
Kindleでなんとなくタイトルに惹かれて読み始めたところなのですが、20代からの関心である「離人症」。私は解離症状があると主治医に言われています。「離人症」と解離性障害は親戚のようなもので、厳密には別カテゴリなのですが、読んでいて「わかる、わかる」が頻出しております。
もう少し、内容と紐付けて語りたい。
このところ、引きこもりが毎日外出していて、急に電池切れを起こすようになり、横になりながら半分眠りながら頭の中でアウトラインプロセッサを描画してなにか整理していました。そのうちにこれは怖いな、という心理の部分に立ち入ったのでやめにして、まず眩しい灯りを常夜灯にし、耳にノイズキャンセルイヤホンを挿し、エアコンの風の音を抑え、書けるとこだけ書いておこうとここに来ました。
意外と疲れているのだなあ私、と遅れて意識する有り様。
しかし今日は夕食に高齢者用お弁当を食べられて良かったです。2日くらい簡単なものを食べて間に合うように動く、ようなことをしてました。
事故で閉鎖された駅を前に人間の命が失われたことを思い、心の中で手を合わせて、迂回路を歩いて、春の花をスマホのカメラで撮り、カルガモを観察し、昨日はそんなふうに帰りました。
おとといは本を2冊買い、店主さんとコロナ以降の人出のなさを嘆き、濃い本屋さんのありがたみを噛み締めながら帰りました。
今日は、音と光の加減がとても居心地が良く、もちろんコーヒーが美味しくて、ケーキも美味しくて、ドライカレーも美味しい喫茶店が閉店になることを知り、取るものもとりあえず行ってきました。体調で足が遠のいてしまっていましたが、12倍は行けばよかった、と思う貴重な場所でした。
ほんとうに音と光の加減が私には安心できる、居心地のいい場所でした。そんなところは世界にどのくらいあるんだろう。あっても私が居ていいところなんてどのくらいあるんだろう、と思うくらいの。
行き始めた頃は、そこからもっとどんどん脚のリハビリが進んで、今なんか走れるくらいになっているという希望のようなものを持っていたなあ。
たぶん花粉症対策のお薬でも眠さが出ていたりして疲れやすいのでしょう、と思いつつ、しばらくお医者通いが続きそうです。
おやすみなさい。
2024年3月21日(木)21:42 その2
お疲れ山なので、明日書けたらよいな。
という写真だけの更新でした。
「勉強の哲学 増補版」千葉雅也(文春文庫)、「ゼロから始めるジャック・ラカン 疾風怒濤精神分析入門 増補改訂版」片岡一竹(ちくま文庫)を、久住さんがボイスチャットで詳しく解説していたので興味を持ち、買いました。
今日買った本はまた後ほど。
2024年3月21日(木)14:51
このごろ眠気が強いのか、早起きができないのですが、外出成功しました。🥳←自分おめでとう。
2時間前は、間に合わない……ブルブル。と布団を膝にかけつつ固まっていました。
動けない時用にすぐそばの一人がけソファーに置いてあるクッキーを4枚食べて、ちまちま処方薬を掛け布団の上に一つずつ並べて全部あるか確認。夜分は机の上へ並べて。服薬したら痛みや怠さが減るさ、と思いそこまで漕ぎ着けました。
カレンダーの予定を見直していたら、過去の私が出かける前の準備を始める時間(およそ外出時間の1時間半前)の時刻を表記しており、私が思い込んでいた活動開始時間よりまだ1時間も前であることに気がつきました。この辺で目的地の風景が私の中に点滅し始めました。行けそう。
さて、そこで私は外の気温を天気予報アプリで確認し、気温10℃、北風5mであることを発見し、怖気づきました。さっきまで行けるかも? と思っていたのに! 念の為に玄関を開けて外の実際の空気の冷たさと風を確認してみました。うーむ。
布団に戻って座って膝に掛け布団を掛け。処方薬の残りを確認すると月末までは待ちます。
「優先順位」という言葉がそこで頭の中に点滅し始めます。予約の枠を取り消すと、一人来られたはずの人が来られないので病院も報酬がもらえません。今日は身体も痛くないし、11時間も眠ったので、気分的には眠りたいけれど、起きて動くことについてもいつもより「いい感じ」です。
クッキーの糖分で血糖値が上下して動悸がし始めたので、こういう用事のある日はまず頓服を飲もう、と思い、袋に記録を書いてから服用。それから喝を入れるためにコーヒーを一杯飲みました。
この辺りで心が決まって、普段着におろしすぎたため数少なくなった外出着に着替え始めました。暖房の温度を高めに点けているので寒さに対する過敏も大丈夫。
途中で時間が余ったので爪を切ったり靴下を取り替えたりしました。数日前の気温のせいで夏物を引っ張り出しすぎて行方不明になっていた手袋も見つけ、諸々装備完了。
いつもならばへたれて、今日はお休み致します〜とご連絡していたところをなんとか外出できて、色々間に合っていない部分は生活にたくさんあるのですが、今日はよくやったな私め、という感じです。
2024年3月15日(金)16:57
隣人が「ポーの一族」のクランの一員のようで、集会を開いているので、読書に集中できず、現実逃避に日記を書きにきています(一応冗談です)。
コーヒーを入れてきたのですが、冷蔵庫の上に置いてきてしまいました。
自分の感情のケリのつけかたが、すこしわかってきたように思います。
でもそれは並の大人よりずっと遅い歩みです。
ペギオを読みたいのですが(ちゃんとフルネームで書きなさい失礼でしょう)、ノイズキャンセルが静か過ぎて耳につきます。土曜に読書会ボイスチャットをやるなら参加したかったのですが、序盤も序盤なので聴き専にしかならなさそう。
常に遅刻魔な私です。
(今回は最終票を投じた責任があるのだしもうすこし読めると思ったのですが油断していました)
しかし本はとても興味深い内容で、用語について一々疑問を覚える変な読み方をしてしまっていますが、創造性についての本なので、読み通したいなあ。
メンタルヘルスを損なっている人達との関わりで、悲しい思いや嫌な思いや傷になるような経験をした人のケアについてぼやっと考えています。
ほとんどは言葉のチョイスが悪い、言葉を武器にしか使わない、コミュニケーションを拒絶することでしか声を出せない人の側のケアに、言葉を非常に大事に思い、その意味に直接、刺される人たちが関わった際に起こること、そういう場合についてしか私は考えていないのかもしれない。
言葉を大事にする。その意味に直接「刺される」人。
そういう人たちのことを私は大切に思っているのだと思います。
ぼやっとしてきましたし、私も落ち着いてきたので書きながら考えるのはここまで。
体調は、ままならないこの頃ですが、そのなかでもなんとかローリングストーンズしています。
2024年3月12日(火)9:43
やっと体調が安定してきました。
今年は区の検診ちゃんと行こうと思います。
10年くらい検診受けていない。
美容に無縁、野生派で通してきたものぐさな私が相次ぐささくれにめげて爪のお手入れを始めました。
セルフネグレクトを一周して、こういう時間をちゃんと取ると、心が休まると感じる程度には身体と頭の時間速度が合ってきたのかな。今までもこういう瞬間はあったのですが、すぐに頭のほうが身体を置いて加速してあさっての方向に行ってしまうので、付いてこない身体に対して苛々しがちでした。
20日ぐらいずっとHuluで「グッド・ドクター 名医の条件」アメリカ版を視聴しています(原作は韓国のドラマで、おそらくシリーズは独自に派生していると思います)。これを見るために他のサブスクリプションを抜けてHulu入りました。正確には今見ているアニメを含めて見たいものがある配信で、費用対効果を確認しました。
ASDでサヴァン症候群を持ち、空間把握能力と記憶力に優れた外科研修医ショーン・マーフィーと仲間たち(仲間になるまで、色んな偏見と自身の困難をショーンは乗り越えていく)の成長物語なのですが、私は普段海外ドラマをほぼ見ないので、予測のつくようなセリフを全然言わない人々の、それぞれの愛や悲しみや正義の表し方、複雑な人間関係(主に家族や恋人が多いですが)を持つ人々が命のやり取りの場で、伝えなくてはいけない気持ちに選ぶ言葉を、心の柔らかい部分を刺激されながら見ています。
(頭が全然働かないので普段海外ドラマは吹き替えで見るのですが、最初に見たのがまだseries1しかなかったころのアマプラで、字幕版だったためか吹き替えのショーンのセリフが子どもっぽく聞こえたので、なんとか頑張って字幕版を見ることにしました。4、5年前でしょうか、series1をなんと6話まで見ていたようなのですが、ほとんど見た記憶がないという有り様で、それだけ今のほうが頭が働いているんだろうなと思いました)
字幕版を見ていると、けっこう訳されていない言葉に気がつくことが多く、「セントラルパーク」が「 NYの公園」だったり、上司である医師の名前のコールが省かれていたり(思い出を話すシーンでさえ名前が省かれていたり)、英語がまるでできない私でも中高の教育と社会に浸透している英語のおかげでそんなことにも気がつくことができるのか、と面白いです。全ての言葉が聞き取れるわけではないので、そのうち吹き替え版との違いを見直してみようかなと思ったりしています。
(しかしアメリカのドラマはシーズン長いですね)
(現在、本国ではファイナルシリーズになる7を撮影中とのことです。series6はWOWOWオンデマンドのみで、1〜5はHuluで配信中)
感情移入をして見守っていた登場人物が一度他所の病院に行くということで出演しなくなったのですが、突然帰ってきたところでこちらまで満面の笑みになりつつ一旦視聴をやめて日記を書きにきました。
あちこち病院通いでメンテナンス中ですが、身体的にも精神的にも安定している2日間でした。
(↓17:00追記)
と書いた直後、倦怠感と薄い全身痛と眠気に襲われてクッションや机などを片付けてしばらく眠っていました。看護師さんに会うためにがんばって起床。前日に買ったおにぎりをもぐもぐしながら、通院の記録などをお伝えしたり、人形のお話しをしたりしました。心臓に不調が出たのですが、検査結果では問題なく、血液検査とCTを残しているので、そのことで心配をかけるなあと思って、私も元気になるのでお会いしました。血圧は82/54。おにぎり食べたのに! でも脈は強くしっかりしていたそうで安心です。
手元にある煩悩の結果のロザリオという、謎の存在(複数)と向き合って、いくつかを手放そうと思っています。本も、ぬいぐるみも、服は元々売るようなものはないので古びたものを雑巾にします。創作物は手放さない主義。
本は大量に減らそうと思いました。
なかなかチョイスが難しいけれど、新しいもので、よく売れていたり図書館に長くありそうなもので、再読しなかったり所持していても持て余すもの、気のムラで買った新書や実用書など。がんばろう。
片付けられない人用の動画を見たりしています。動画はどうもクオリティを気にしたり、BGMが耳についてしまったり、声が苦手だったり、要点がまとまっていなかったりしてそれ自体の選択が大変なので、文字媒体のほうが私には合っているのかなと思います。友達にInstagramの収納アカウントがあることを教えてもらったり。
前に進むことを考えます。
2024年2月27日(火)21:15
記す25:01。
あのな。2時間くらい、いや3時間くらい、他デバイスで、ログインしていないからエンターキー押せないことに気が付かず、煩悶していました。orz
Scrapbox+Enterキー 反応しない 等
で検索しまくっていました。orz
2024年2月26日(月)19:25
あ、夕ご飯の時間を過ぎている。
今朝は、1:30頃〜7:30頃まで睡眠を取り、起きかけました。
食欲がなく、トイレに行って二度寝、を2サイクルしました。
おぼえていないのだけどたぶん昼に非常食を食べて通常時朝分服薬(なんか動悸するので)。
その後14時か15時頃にやっと、心を決めて起床、着替え、プロテインを牛乳で溶かして飲みました。
なんでも大広間に文章を打ちやすい、キーストロークの深いBluetoothキーボードの募集を書き込み、並列して自分で検索したところ、こだわり部分が散らかったままだなあと気が付いて当該投稿を削除。
その後ヒューレットパッカードの無線キーボード電池式があったはずだな、と思い、記憶のところを探すも発見できずに軽いパニックになり探すのをやめました。
(プロテインにコーヒーを混ぜたのでいかんです)
今は買い物欲は一時停止して、また、インプットよりもアウトプットをなるべくしたほうが体に良さそう(SNSをやめているので)と思い、続けて見ていたドラマを我慢しているのですが、後でこれがストレスになって夜更かしにつながりやすいので見るのを我慢するのはやめよう。
(時々やりかけている認知行動療法のテキストを続けます)
昨日はいつも観ている週1のドラマ視聴を忘れるくらい、配信でひとつのドラマシリーズにはまりこんでしまって、オープニング曲がイヤーバグになっている。
実のところあちこちで色んな物事を請け負い過ぎて(締切はない)、優先順位がよくわからなくなり、3連休を前回のようにだらけないよう、姿勢良く、活動し続けたら過集中ロンダリング(?)になったため、なんらかのパニックに陥りやすい状態のようで、医師に要相談。
今は頓服を飲む対応をしています。
ハーブティのストックの種類を増やそう。
35歳も過ぎるまでカルディの存在を知らなかったのですが(都心の過疎地過去在住スーパー地元経営1件しかないので自転車で島まで渡って何軒もはしごしていました。肉のハナマサにはお世話になった)、知らないとTwitterで呟いた数日後に、隣駅にあること、その前を度々通り過ぎていたことに気がつきました。
(売っているものは見るのに看板を見ない体質→見るように変えました)
アープラ(もう慣れた呼称)でもちょいちょい美味しそうなお茶の紹介があるから、検索して覗いてみよう。
私は「パワーストーン」としての効能などは占い程度にしか信じていないのですが、母の喪のあとは、もう何の色もない透明な水晶の数珠やブレスレットがいちばん、腕の熱を取ってくれて好きです。ガラスとも違う硬度と温度(人工のガラスを水晶として売っているのに出会うと温度と手触りでわかります)。
でもすぐに私の体温に馴染んでしまうのが少し悲しくて、苛立たしくて、今は感覚の過敏が入院時並みに上がっているので、何か違和感が欲しくてアクセサリを身につけるのですが、今日はやめちゃいました。
青い鳥を探して、家にいる鳥に気がつくような迷走をしています。
2024年2月20日(火)25:15
なんだかやたらと前日の日記を直し続けてしまった。本来このくらいきちんと調べて書くべきだという気持ちはあるのだけれど、実行すると「仕事」になってしまうので無理はよくない(修行にはなる)。
(このくらいで調べたとか言っていたらホンモノに怒られる)
今日も3時間睡眠で目が覚めてしまって、腰が、固いベッドのせいで痛むのでストレッチをしていたら夜が明けてしまった。朝食後にまた読書のノートを取ろうと思っていたら急速に眠くなってしまい、昼食の時間まで眠ったように思う。そのあとかなりテンション高く御用事を済ませ、そのあいだに頓服を1錠服用し、コーヒーも飲んでいないのに過活動になり、遠くの本の塔を積み替えて読みたい本を上に持ってきて、汗だくになって着替えた。
昨日外へ出てからも動き通しだったので身体中がバッキバキに痛くなって、もう動けん、と思い急いで薄着になって横になった。
とても奇妙な夢を見た。
自分のいる部屋にある40cm四方くらいの正方形の戸を引くと、住人が欠けた別の家の部屋に出るのだが、そもそもそのようにした存在がどこかにいて、それに悟られないように事の原因と解決方法を探そうとしていた。ひと部屋に銀髪の母がおり、少し怒りながらよそ行きの服で掃除機をかけていた。
ここ5年くらい1回の睡眠が2時間半単位に及んでそれより短いと目が覚めないのだが、今日もきっかり2時間半眠ってから、夕方に甘いものを摂りすぎたので夕食代わりに0キロカロリー寒天ゼリーと甘栗を3粒食べて夜分を服薬した。
そのあと、時間を相対的に長く感じたいがために紙の本を読もうと思っていたのだけれど、歩くウェルテル効果みたいなことをしちゃったかなと日記を読み返しに来たら直すのが止まらなくて今の時間になった。
リハビリ的なこと(ふくらはぎのためのつま先立ち運動など)や、用事をこなす速度が上がると、きちんと疼痛と筋肉痛が出るのだなあ、と2年くらい全身痛があまりなかったのは寝たきりをしていたからなのだと、予感していたことが当たったけれど、めげてはいない。
少し、年末から急に過集中と過覚醒が心配になる度合いだけれど、それを使って今までできなかったことをして、きちんとあいだに身体を休めて、詰まっていたことを進めていこう。
2024年2月19日(月)22:44
今日は気圧が大暴落して急上昇する日のようだった。夜に知った。
予定の前に1秒くらい居眠りをした、と思ったら30分経っていてびっくりして急ぎ足で用事をこなしてきた。
たぶんいま血糖値の大暴落が起きているので日記を書くのに不向きな状態にならないといつもこの人来ないな、と思って書いている。
本放送とビデオテープと再放送のうちの2回くらいしか全話を見ていないであろう「ケイゾク」を久しぶりに配信で観ている。携帯電話が古い。アンテナ伸ばすん懐かしい。あの頃大人だったはずの真山さんぴちぴちしてる。渡部篤郎と中谷美紀コンビ(勝手にコンビにするな)は好きで、「永遠の仔」も観ていたっけ(原作を先に読んだ)。「H」←雑誌(ムック?)の特集も持っている(実家だ)。
この頃は「ケイゾク」のような内容のものを全く平気に観ていられた。まだ2話までなので、今後どうかはわからない。また精神的自傷してない? という疑惑を自分に持ちつつ、「中谷美紀ちゃんかわいい〜」と画面を凝視している。
「ワンダフル!」からの渡部さんの「柴田ぁ〜?!」の一連が好きだったなあ。
(中谷美紀は『ハルモニア〜この愛の果て〜』くらいから好きになった。今はテレビを観ないので、活躍を追えていない。堤幸彦演出で好きになった女優さんは他に宝生舞がいる)
前回書いた、人の喋り方がうつる話のつづきというわけでもないけれど、20代前半は「ケイゾク」の柴田がうつっていたな、と、当時のしょうもない記憶がいくらか思い出される。
私はとても飽きっぽい人間だなと思うのだけど、「TRICK」の中盤くらいでオフィスクレッシェンドノリ的なものに飽きてしまって、他にも色々自分が忙しくなったとか理由はあったんだと思うけれど、それっきり堤幸彦作品は観ていない。「SPEC」は少し観たけれど、どうしても自分のなかでは個人的には「ケイゾク」を越えてくれなかった。
(少し前に堤幸彦のロングインタビューを見かけたのですが、それをあらためて探して、趣味に走った作品がありそうだったら観てみたい。余談だけど、街の風景が昼から夜になってまた明ける早回し表現を最初にやったのって誰なんでしょう。私は堤幸彦で初めて観た)※タイムラプスは今では誰でもわりと安価で撮ることができる映像になりましたね。
「IWGP」とか、演出は違うけれど小学生のデビュー時の神木隆之介くんの演技が見られる「QUIZ」などは観ていたけれど、兄弟がハマっていたクドカン脚本の野球ものは観なかったなあ。たぶん、理由なんて本当はたいしてなくて、やっぱり少し疲れていたり、忙しかったりしたのだろう。
(以下の部分、自分の端末に引き上げました)
2024年2月8日(木)23:44
ペインクリニックに通院できた。
処方薬が2週間ほど切れていて、再開してみるといつも身体がだいぶ楽になるのを感じるのに、自分の身体の「つらさ」に対して鈍いところがあり、15パズルの最後の数字のように後回しにしてしまう。
これでやっと通常モードに戻るはず。
私は抗鬱剤や抗不安薬、疼痛遮断薬の作用に対して少し敏感というか、具体的に体感として作用を感じる。本来、服薬に対する抵抗感が大きい。時々、年に1回くらいは服薬を辞めたくなり、減らそうと思い医師と相談しつつ実行してみるけれどまだうまく行かないようだ。
まあ仕方がない。
「こわい夢を見るの」とだけ言う意識が20代から居る。実際にこわい夢を見ているわけではなくても、その言葉を使ってなにかを言おうとしているんだろうか?
今朝の夢は、大伯母さんの遺品の鎌倉彫りの鏡台(元私の部屋にある)の下の引き出しから、私が開けてしまった母への香典を2通、祖母が持っていって炬燵にいる母に相談して嘆いているというヘンテコな夢だった。
それは母のお香典で、おばあちゃんはもう死んでいるし、母も死んでいるでしょう、ということを本人たちにどう説明したら良いか途方に暮れて目が覚めた。
Blueskyの招待コードを頂いて、アカウントを作ったまま放置していたのだけど、登録自由になってから呟いたので、なんだか不思議な気分です。
今日やっと1週間ぶりくらいに朝起き上がることができて、用件を一気に数件こなしてしまった。本屋へ行きたかったけれど、「まっすぐ帰る」と自分に言い聞かせて、1.5ℓのペットボトルを脚の代わりにぶら下げているような歩行で帰宅した。
今日は足は攣らなかった。
私はほとんどこむら返りというものをしたことがなくて、この頃はいつも歩きすぎると足の裏が攣る。ハマって見ている「アストリッドとラファエル」というドラマの、自閉症であるアストリッドの話し方がうつってきてしまって、「足が攣りました、足が攣りました」と先日看護師さんに報告してしまった。
私はよく、人のなにげない言葉を拾ってコピーしてしまうので、現役をとうに過ぎた20代になってから友人から「超〜」という言い方がうつってしまい、たぶん今もたまに使っている(年代の行き遅れ感がばしばししたりはあまりしないのは引きこもっているからかな?)。
お薬が効いてだらだら書きそうなので、この辺で眠ることにします。
とても面白い本を教わって、徹夜したいけれど老体を労わります。
おやすみなさい。
(私はいつも15パズルを12パズルと数を間違える)
2024年2月6日(火)19:43
日記の過去ログのある箇所を消そうと思って1から読み返していたけれど見つからないまま時間ばかり経つのでまた今度にしようと思い夕食を摂る。
睡眠時の動悸は少し緩やかになって継続している。覚醒時に一時的に補給する水分を、安い、成分の怪しい(要検証)粉末スポーツドリンクからコンビニ等で買える比較的信頼性のあるスポーツドリンクに戻す(水道水で半分に薄めている)。
事件(被害届を出していないので正確には事件と呼ばない)の後、20代はずっと一日中を動悸に悩まされて生活していた。左胸につけるバイトの名札が揺れるほどだったとよく書いてきた。高校1、2年生の時に読んだ『タッジー・マッジー』山口美由紀(白泉社花とゆめコミックス)の影響で「魔女になりたい」と思い立った私は図書館でオカルトの棚を行ったり来たりして『やさしい魔女』マリアン・グリーン(国書刊行会)という本を読んだ。(他には同シリーズの『聖魔女術』、鏡リュウジの訳した魔女術の本などを何冊か読み、進路を決める時に血迷う一端となった)
その中に今はもう一般に浸透している瞑想の呼吸法について書いてあったのを実践していて、なにかの展示の際にアルファ波(だったっけ)が出ると小さな自走式機械が近寄ってくる展示に立ち寄った時、同行した友達に驚かれた朧げな記憶がある。その後1年も経たずに強いストレス状態に10年単位で置かれることになるのだが、精神科に通わせたくない親に従うために脳神経外科で人間ドックを受けた際には、医師のリップサービスだったかもしれないけれど(そういう性格の人でもなかったが)「修行僧みたいな脳波だね」と言われた。(これも何回も書いていてまるで自慢でもしているように読む人もいるらしい)
しかし、一時的な対処にはなっても深呼吸で対応し切れる動悸ではなく、25年も前になるけれど当時の処方薬は副作用の眠気も強く、医師との信頼関係も築けず、今ほどネットの情報もなく、病院は転院と、行ったり行かなかったりを繰り返していた。
20代前半に通っていた人形教室の先生がスピリチュアルに染まり切った人で、スピリチュアルの全てを否定する気持ちは今はないのだが、アレルギーになり、スピリチュアルのある部分のなんでもポジティブ主義なところに嫌気がさして、心が離れた。事件の加害者(仮)もスピリチュアル系の掲示板を立てていた人間だったので、そっちの方が根が深いんだったよな、と今書いていてちょっと思い出したので蓋をしておこう。
話がかなり長くなった。
端的に書くと、いつしか私は瞑想をやめた。
(『天使の瞑想 やすらぎまでの3分間』山川亜希子(角川cdミニ文庫) はサティの曲に合わせたシンプルな構成が気に入っていて、眠るために聴いていた時期がその後もあり、Amazonでも2回買っている)
先述の日記にある通り、今はMeditopiaというアプリで無料分の瞑想に補助してもらって、半年くらいだろうか、瞑想を再開している。まだ慣れなくて逆腹式呼吸はできない(どこから出てきた)。
『瞑想なう』でも元気がある時は充分である。
1週間ほど続いている今回の動悸が起きてから、おや今までの動悸とこれは違うなあ、と感じていたのだけれど、20代に陥った動悸の強さを思い出すと、単に今まで頓服等で抑えられてきた動悸が、同じ強さで舞い戻ってきたに過ぎないようにも思う。
動悸のことを書くのに40分くらい使っていて面白い(面白くない)。
今日は実家の家族が(母も生きていて皆少し若い)犬数匹と、今は亡き愛犬のための猫という謎の理由のついた猫を飼っていて、それをBlackBerryBoldの写真で見せられるという夢を見た。夢の中の家族は、なにかと私の存在しないことで成立している家族をやっていて、しかし部屋が増えている夢は見なくなったなあと、今日日記の過去ログに目を通していて思った。
(BlackBerryBold9700を昔使っていて、 BBCドラマの『SHERLOCK』をずっと観ていたのでそのまま夢に登場したらしい。9700は施設に入った際に手放し、9900の筐体は随分前に RIMのサービスが終わる頃Wi-Fi運用のために手に入れたのだけれど、曲送りが音量ボタンでできなくなったのと、本体のベト付きが出る素材に替わっていたためしばらく放置してある。キーボード付き携帯でないと使えない体質になった頃が一時期あった)
とりとめもない上に長い日記をまた書いてしまった。推敲しようよ、推敲。
2024年1月31日(水)23:45
書こうと思っていたら1月が終わっていた。
(日付が変わった)
4日ほど前から寝覚めの動悸に悩まされている。脈が結滞しているわけではないので、それほど心配はないだろうと思っている。服薬の影響で呼吸の抑制が起きており、口乾燥を防ぐためにマスクを口だけして眠ってみているのだけれど、その影響で酸素が足りずに息苦しくなっているのかもしれない。
薬の離脱症状、あるいは副作用疑い→服薬調整。軽い睡眠時無呼吸は元々持っており、スマホの睡眠計に録音されているイビキからも、呼吸を回復する時の引き込むような音が録れているので、要検査だなあと思っていたのを後回しにしていたのを順番を前にした。
4日間も大きめの動悸が続き、起き上がりたいのに起きることができず、起きていれば少なくともだいぶマシに感じるのだけれど、一体全体、なににも関心を持つことができずに、そんな自分を持て余してぼんやりとしている。こういう時に運動ができる体だと良かった。
日光を当てるべきである。私に陽光を。
通院は、死の恐怖があるとできるものなのだなあ、と常に現金な自分をこういう時に感じる。
母は祖母の死後1年を待たずに逝ってしまったけれど、私はとりあえず2年は生きているのだし、色んな人から追い返されそうな自信だけはある。
そう遠くはないペインクリニックにも行けていないので、慌てて爪先立ち運動をしてみたところで、通院疲労も込みで足の裏に痛みが出るのだけれど、毎日、「ともかくなにか食べ」と自分に声をかけ、体が動く瞬間の神経の発火を逃さないようにして、誘導し誘導し生きている。
今日は暗いニュースばかりサルのように読んでいたけれど、それでもここ数日のうちでは長めに起き、さっき「SHERLOCK」を本当に久しぶりに観て、懐かしいなあと思い、そしてよく笑った。
私は天才ではないのだけれど、孤独であるように自分で育った。人に報いるということのない人間だなあといつも思っている。
可能であればやりたいことはまだたくさん残っている。
考えるでも感じるでもなくし続けられることがあるとすればそれはなんだろう。
生活だろう、と、だいたい最後までツッコミ役を買って出てくれる認識さんが言う。
2024年1月24日(水)23:12
今日はここ数日よりは少し早めに起きられた。7時間半くらい眠ることができた。
いつも5時間とか4時間で起きようとして失敗しては二度寝してしまっているので、早めに眠ってきちんと起きるをどれだけ続けられるか(中日があっても)、続けていきたいなあ、と思っている。
今日も色んなことを30分おきくらいにぱたぱたとやった。それからクリストファー・ノーラン監督の「TENET」をAmazonでダウンロードしていたものを半年ぶりくらいにやっと再生して初めて観た。
アイデアを画として面白い映像にするのが相変わらず抜群に奇妙でうまいなあと感心しつつ、おや、あれとこれがどうなってこうなっているんだっけと頭のなかがこんがらがりつつ観ていた。
ところどころで泣いた。
音楽を表す語彙を(知識)私は持っていないのだけど、「TENET」の音楽も映像とストーリーを盛り立てていて良かった。
(やはり中年は一日の最後に日記を書くものではない、とボーッとした頭で思っている)
※時間が許せばもう一度視聴しようと思う。
昨日最後に書いた映画の感想を書く体力が全く残っていなくて、少し自分にがっかりしている。
自発的に休み時間を設けることができないので、時々、Meditopiaというアプリの無料分の瞑想誘導で数分間の瞑想をして休む。
(これは相川さんにかなり前に教えて頂いてインストールしてから一年くらい眠らせていたんだけど、最近は度々落ち着く必要があって、しかし呼吸の吸う時の苦しさが億劫でなかなか腰の上がらなかったのが、だんだんと慣れてきた)最近のアプリは無料体験後の解約方法をサブスクリプション方式にしていなかったりして悪どいのだが、右上にバツが出てくるまで耐える、ということを覚えると幸せになれる。月額いくら、実質一括年払いを仕掛けてくるアプリには気をつけよう。
そんなこんなで今日もあまり自分に向き合っていない日記が終わりました。
2024年1月23日(火)22:43
毎日一日記。
今日も受動態で色々した。一応、外の空も見てきた。夕刻の青空のなかで少し光り始めた月がきれいだった。
「現代副詞用法辞典」飛田 良文、浅田 秀子(著)(東京堂出版)の旧版を家で失くしたのでもう一冊買おうかとちょくちょく思っている。2017年8月にこの辞典を過去買っているけれど、その頃の私は言葉と言葉のつながりが夢のなかですらすらと出てきて目が覚める前にごく短いお話を記憶に残したことがあった。それを着想にリライトしたお話を某所にそっと投稿してきた。
結局は意識のスライドの波にのまれて作品作りは単発で終わってしまったのだけれど、言葉がその「あいだ」を知ることによってひとりでに組み上がっていく様を見せてくれた夢が、私の行き詰まりを解消するひとつのヒントとして印象に残っている。
「ゴッドスレイヤー 神殺しの剣」という中国映画について感想を述べようと思ったけれど23時を超えてしまったのでまた明日。
覚えていられるといいなあ。
2024年1月22日(月)23:37
一日の終わりに日記を書くというのは中年には間違った脳味噌の使い方ではないか、と今日思った。
今日はわりと色んなことをした。
ここ最近の、変な過集中が出てひとつのことをグッと入り込んでやりすぎて疲れ果てる、という状態を外れることができた。偶々今日の気温が高めだったからかもしれない。
睡眠のほうは、いまいちで、強い夢に惹かれて昼を過ぎるまであまり水分も摂れず眠っていた。夢のなかでは生き生きとした感情を感じているようだ。私は男性で、頭のとても良い恋人に家族を紹介されつつ生真面目な話をし、ひねくれ屋の彼女を面白く思いながら帰ってくる。
夢日記は目覚めた時に書くべきだけれど、シュルレアリストたちの自動筆記の果ての死などを連想してしまい今は辞めている。
服薬のせいか感動は薄い。
薄いなりにいくつかの作品を短時間ずつ摂取し、今日は2食食べた。
観るものも読むものも2回目なので、1回目には見落としていたところばかり拾っては初めて見た作品のように驚いている。
リハビリのための散歩は、とてもそうとは思えない短距離だけれども、私はよく植物の様子を見るのが好きだ。しかしここは住宅街なので、見ていた植物自体が剥がされてなくなったり、そもそも植物を見て止まっていたり月や星を見て止まっていたりする人間は挙動不審人物でしかない。
知り合いでもないのに話しかけたりすると、ほとんどの人は、愛想というものの抜け落ちた振る舞いで私の距離感を振り落とす。
今は80年代でもなく90年代でもなくここは下町でもないのだった。
コミュニケーションの場、「サードプレイス」と言ったりもするらしいそういうものを、探し当て、新しい関係性を一から築いていこうとこのごろ思っている。
今日の日記はやはりなにか本題までたどり着けないまま、ここで終わり。
2024年1月21日(日)24:02
逃病日記
年末の通院に失敗し、2週間服薬が止まった状態だった。これを機に抗うつ、被害感に対する薬(検索では一応適用は統合失調症。診断は要件を一つしか満たさないため下りず)を終了することになった。
その分、抗不安薬が倍量増えたのでボーッとする日々が数日続いている。
まあ端的に書けばボーッとしている、の一行で済む話である。
ボーッとした日記
自分の状態の悪くなった面だけが目に見えるが、思えば「寝た切り」→「起きている」→
「ごく短い散歩ができる」
「クッキーしか食べられない」→丁字さんの助言でプロテインを飲むようになる→2食グラノーラで体に悪いけど夕食のご長寿弁当(高齢者用お弁当)の3食食べられるようになった
などの良い変化もある。
音楽を聴いているからか、文章がぶつ切りである。
「科学がつきとめた 中年太りのすごい解消法」山田陽介(エクスナレッジ)がとても気になっている。
元彼氏は糖尿病をコントロールしながら生きている人だったのだが、コントロール下に置いているわりにはドカ食いの人で、上京してくると食の細い私にもせっせと食べさせてくれる人だった。
それからこっちが本命だと思うのですが、私は更生施設(ホームレス、DV被害者などが一時的に数ヶ月から一年ほど日課をこなしつつ自立に向けてリハビリする施設)に8ヶ月ほどいたと思うんだが、その頃に寒さから逃れる方法の一つとしてチョコレートを常食することを覚えてしまった。
プラス、やっぱりこっちが本命のような気がするのだが、寝た切り生活(とはいえトイレなどは自分で行ける)で歩行がふらつくほど脚力と基礎代謝が衰えた。
階下からの突き上げ騒音が3ヶ月ほど続いた時期に人生初の過食を経験してから、ついた脂肪が落ちねえ。orz
たぶんボーッとしていると気がついた瞬間にストレッチ等すればいいのでは?
と思う。
思うことはできるのだがどうも楽なほうに流れている。
正座大好き。
→死!
ということで最近は稀に元気な時は「科学的に元気になる方法集めました」堀田 秀吾(文響社)を読んだりしている。
稀に元気な時は難しい本を読んでしまうのだけど、難しい本を読んでも体力と精神力が足りないと全く内容が入ってこないのだから、近道と思うことばかりしていてもいかんのだなあと思う。
今日もチョコレートを食べました。
一時期買わないことで食べないを貫いていたのだけど、どこで負けたんだ俺。
少しでも何か長めの文章を書いておこう月間で、日記を書いてみたけれど、音楽を聴いているからか(騒音というか壁が薄すぎ問題で落ち着かない)、健忘症の入り口なのか、本当にこのごろはびっくりするほど頭が働かない。
(服薬を減らす方向で動いており主治医も賛成してくれているのだが、ひとつには副作用の眠気や頭のぼやけを取りたいから若干無理をしているというのがあると思う。残る薬が全てベンゾジアゼピン系なので、セカンドオピニオンもいざとなったら視野に入れつつ)
アシュトンマニュアルを必要とするかはよくわからないのだけれども入院時の急減薬で振戦せん妄を起こしているので、ベンゾジアゼピンの断薬状態には恐れがある。
しかし一応2週間は大丈夫だった。血中濃度の短期型から長期型に替えてもらったあとだったので良かったのかもしれないのと、2週間では抜けきらないというのはある。
うーん。面白くはない日記を書いてしまった。
ある種の面白さに対しての疑いが深すぎるのが私の問題点だなあ。
基本的にチラシの裏に書け案件になってしまう私の日記であった。
頑張って900字投稿用のきちんと削った文章を書きたいというのが今の木魚。
誤変換
目標である。
(内容が無いようなので一旦今日はおしまい)
2023年12月29日(金)29:10
夜更けに疼痛遮断薬を飲んだら身体のしんどさが無視できるようになって、そこから、自分の書いた言葉に延々と返事をして自らハイになるという無益なことをしていました。
こういう状態を「過集中」と言っていいのか最近迷っています。そう呼んで片付けることで、ひとつひとつの出来事のディテールが失われているように思うのです。
そういう、決定的な言葉を最近は避けようとしています。短文SNSでは、単語の強さは便利なのですが、それに慣れることで失うものをようやく自覚したのかな? 本当か?
(怪しいと思います)
自分について描写することは言い訳を重ねるようなことで、それによって生まれるのは歪んだ自己像のように思います。
そんなことが書きたかったのではなく「業界用語」を使うと人を煙に巻くだけで、なんの説明にもならず、普遍から遠ざかるだけだなあと、思っているところです。
これは他者の在り方から学んだことです。
健康に気を遣いたい年齢に突入したのですが、そう思った途端にむしろ健康に逆らうように無駄な間食をし、夜更かしを続けるという天邪鬼なことになっています。
おそらくはこういう時はボイスチャットなどに転がっていたほうが良い。
無駄な作業をダラダラとしている時ほど、寂しいのだから、他の人間の存在を頼る、それはたとえば世間話をするだけで充分なんです。私の場合はね。iPhoneはね?
という感じでいつもの調子に戻ってしまいましたが。かしこまってまともな文章を書こうとしていたのに。
さすがに深夜は私がキレの悪い💩のように通話を自分からは切らないので、Discordのどこかに転がっているわけにもいかないけれど。しかし私は深夜の長電話というシチュエーションを自分からしたことがなく(基本的に電話は相手の状況が読みにくいので、という以前に本能的に苦手で)、なにか自分がそれをすることに対して非常に罪悪感を持っているんだなあ。
あ、結局自分語りになっている。
通話を自分から切らないのは、人の心が読めないと思っているからかもしれません。本当にこの人は通話を終えたいと思っているのかよくわからない。あるいは、終わりを見届けないと気が済まないという病的なこだわりなのかもしれません。
私の家族は、近所に住む祖母が帰る時にマンションの外廊下を建物の間の路地に至るまで見えるところギリギリまで移動して毎回見送っていました。それを始めたのは58歳で祖父が突然死してから、いったいいつまで続けたんだったか、見送るということが不在でできないようになるまでだったように思います。
わかりやすい話ですが、そのように、終端を見届けないと、見ていないあいだに相手がこの世から消えてしまう、あるいは出来事が無事に終わらない(自分とは関係ないにも関わらず)、こういうのを強迫観念と呼びますね。
なんだか冒頭で書いていたことの全部反対を行っているような話になってきましたが。
こうやって自分の説明文を書いていると、過去に捉われるようになるし、文脈から永遠に出ることができない。
顎を外すように(その喩えは変だと思う)、脱臼するように(これはシュルレアリスムの言葉ですねたぶん)、文脈から自由に、なれたらいいのになあ。
物語に一度殺された人間が、自分を物語ることで「私」を取り戻したとして、しかしその語りからもう一度殻を破るように外へ出られたら。
そうしたらはじめて「そのあとの生」が始まるように思います。
(このことは何かの運動をし続けている人を否定したいというのではありません。と付しておきます)
充分にながくなったのでこの辺で。
家族にはわかると思うのだが、家族がここを読んでいたらこわい。まだその頃私たちは幼い子どもだったので、「おやすみんちゃい!」と言い合うのが祖母との合図でした。(誰かが書いておかないと、家族の成員が歯抜けになっているので、まあここに書いても仕方がないのですが、記録しておきます)
(了)
2023年12月16日(土)10:45
久しぶりに改ページをした。
朝からコーヒーを大きめのマグカップに1杯と三分の一くらい飲んだ。後半はスジャータとパルスイートを足した(ミルクを入れる器が欲しい)。
最近、というより昨日から、腕用のクッションを星柄のゾウさんからダイソーの500円クッションに変えた。綿が寄る仕様だけれど今のところモッチモチである。気分が良い。
訳もなく音楽を割と大音量で(イヤホンで)聴いているので、叙情的になっている、わけでもない。
明日は母の命日で三回忌である。
花の一つも買ってやろうと思うのだけれど、あいにく(?)お出かけである。
法要はやらないらしい。
春夏とサボっていたペインクリニックに行って疼痛遮断薬を処方してもらう。足の裏の筋肉痛がひどいので量が増えた。頑張ってリハビリ。午年なので、良い人参を鼻先にぶら下げるべきである。
図書館とか。
しばらくDiscordのほうは、なにかあった時しかチェックしておらず(鬱が悪化しており服薬の調整中)、ご無沙汰だけれども、ログがあるものは元気になったらチェックしていきたい。
住人のロールを冠しているのに不精で申し訳ない。
感情がわりあい平板である。
この「である」は「だ」でもいいのでは、などと思っており。
書くといってもわりかししょうもないことしか書けないなあ、と思う。
無感動になるお薬を何種類か服用中なため、もあるかもしれない。
実家にいた頃から客としてお世話になっていた小規模チェーンの書店の最後の一店が閉店するという報せがあった。
これはたぶん失ってからがっくり来るやつだ!
と思っている。
行けるうちにできるだけそこにしかない本とどこにでもある本と両方を買いたいものである。
あれほど自分が読まない本を読もうと思う本の並びをしている書店は、規模が違うにも関わらずジュンク堂池袋本店くらいしか知らない(とはいえ書店好きというわけでもないので人が行く大規模チェーンにまったく行かないので、抜けは多い。いわゆる名店も知らない。本棚が濃すぎると胸焼けして一冊買って帰る。←どっちだ)。
あと哲学書置いているあの大きさの本屋さんはあまり見かけない。
ああー寂しくなるし、失うものの大きさは後にならないとわからない。
SFも充実していたし。
たぶん私が読まないジャンルの本も充実していただろう。
美術書は、先に閉まった高井戸の駅中書店のほうが数があったように思うけれど、棚の構成の具合であって、入ってくる本、入れられる本の違いもあるのだろう。
普通の(普通ってなんだ)健康な人の感覚であれば古書の街も、紀伊国屋書店も簡単に行ける距離にあるのだから、頭のなかの地図を書き換えるだけだ。
「方向音痴って、なおるんですか?」吉玉サキ(交通新聞社)
が欲しいと思って幾星霜。
(終わり)